「蜜柑と未完で語呂合わせしているんだよ」
と、
恋人が作曲しているところを覗き込んで
題名について聞いたら教えてくれた。
なるほどなぁなんて思いながら、邪魔をしないように部屋の隅のベッドの上に移る。
【蜜柑】って漢字、とても素敵
まず【蜜】からもう好き。
とろっとして、色んな花の匂いを蓄えて、透き通ってキラキラで、うっとりするほど甘い。
そして、【み】という小さくて可愛らしい響きの音と【つ】というこれまた小さくてささやかな、けど弱くはない小気味の良い音で発音する言葉。
もっと語彙があったらうまく言えると思うけど、私の貧弱な語彙では「『みつ』と呟いてみて!」としか言えない。
とにかく「良い」。大好き。
そうして蜜柑のことを考えていると、幼少の頃を思い出した。
当時私は母子家庭で、母方の実家に住んでいた。
見た目へのコンプレックスや、学校で馴染めなかったこと、大好きだった父が他人になったこと
当時の私は毎日生き辛く感じていて、逃げるように綺麗なものや空想を大切にしていた。
中学2年生の冬、まだスマートフォンなんて持っていなかった私は、3DSやパソコンでYouTubeをみて、大森靖子ちゃんや相対性理論やヒロネちゃんを知った。
(3DSなんて今の中学生たちは知ってるのかしら。当時のゲーム機では写真が撮れたりインターネットブラウザを開けたりしたから、久しぶりに見てみると黒歴史が保存されてたりするよ。びっくり)
可愛くて不思議で儚くて強くて壊れちゃいそうな音楽を聞くのは初めてで、いきなり世界にフィルターがかかったみたいだった、ピンクと水色と白、ふわふわとキラキラ。
好きな歌詞を書き写す為だけのノートを作って、学校に行っても見返してた。
何度も何度も泣きながら聞いて、眠りながら聞いた。
とんでもない田舎に住んでいたから、帰り道は田んぼしかなくて、真っ暗だった。
雪が数少ない街灯に照らされて、ほの白くキラキラしていた。
きっと同級生は誰も知らないだろう、私だけのかわいい特別な歌を、私しかいないであろう場所で歌って帰った。
歌は下手な方ではないし、今もカラオケは大好きだけど、あの帰り道より楽しく歌えたことはきっと無い。
どの歌も、人生が楽しかったら良さなんて分からない。
絶対にきっとそう。
私の特別があるのは、辛かったから。
毎日死にたいなんて思って、Twitterに書き込んでたりしたけど、思い出すとすべて楽しかったように見えるのは、彼女たちの歌があったからなんだよな、ありがとう。
そんなこんなで家に帰ると石油ストーブがあって、私は石油の匂いが好きだった。
今恋人と住んでいる家にはストーブなんてないし、エアコンの暖房で乗りきっているけど、やっぱりストーブが好き。
空気がしっとりして暖かくて、それだけで少し幸せになれた。
こたつの上には蜜柑があって、食べきっても足先が凍るような廊下を渡ればダンボールにたらふく入れてあった。
母はシングルマザーで、朝も夜もずっと働いていたから、あまり家にいる時間はなかったし、いてもほとんど寝ていた。
別に私は寂しくなかったけど、世話焼きな祖母はそんな私が不憫に思ったのか、
それともほんとにただのお世話好きなのか分からないけど、色んなことをしてくれた。
私が好きな、生姜が入った肉団子と小さな蟹が入ったお鍋とか、たらの煮付けの頭の部分とか、今思うと手間もお金もかかるようなご飯を毎日作ってくれて、ひろいテーブルにはいつもタッパに入ったおかずと共に私と妹の好物が用意してあった。
そんなおばあちゃんなので、廊下が寒いと言えばしまむらでスリッパを買ってきてくれたし、
石油ストーブの石油はいつも満タンだった。
不幸だと思っていたけど、私は確かに愛されていた。
そう思えるようになったことがなにより幸せだな
こたつの上にあった蜜柑。
蜜柑で黄色くなった私の手のひら。
蜜柑を考えると、そんなことを思い出した